
今日は、メル・ギブソン監督・製作・共同脚本の「パッション」をみました。
イエスの最後の12時間をリアル(事実だとして)に描写したもの。
公式ページによると・・・メル・ギブソンは、
「私の望みは、ユダヤ人を非難することではなく、キリストが我々の罪を償うために味わった恐ろしい苦難を目にし、理解することで、人の心の深いところに影響をあたえ、希望、愛、赦しのメッセージが届けられることだ」
とのこと。
原題は、THE PASSION OF THE CHRISTですから、”キリスト受難”という意味の『パッション』と純粋な”情熱”という意味の『パッション』の二つの意味があるのかなと、勝手に解釈しました。
この12時間が、どこまでが事実なのかわかりませんが、キリスト教信者ではない私にも、確かにイエスの情熱は伝わってはきました。単なる布教を超えて、いわゆるインパクトを与えるべく行った行動。 こんなにも大々的に思想の主役に『愛』が登場したのは、彼以後なのかも?と思えば、彼の行動は、当時の人間そしてその後の人間にまったく新しい視点を与えたことになります。
大小はあっても、ひとの心を突き動かすのはいつの時代でも「情熱」
ドライ?(でもないかな 笑)なビジネスの世界に身を置いている私でも、パッッションの力によって左右されること、しばしばです。
ただし、そのパッションというやつは、必ずしも人間を幸せにするとは限らないんですよね。パッションの最大の強みでもあり弱点でもあるのは、他を寄せ付けない力。往々にしてバランス感覚を崩すものです。
映画の時代から2000年経ちましたが、彼の思いが成就した世界になってるとは思えません。身勝手な情熱や正義が横行したせいなのか、彼の域まで達することは、凡人にはまだまだ高いハードルだったのか。
それとも、幸福へのアプローチの方法を間違ったのか・・
”世界の中の自分”ではなく、”確固とした自分とそれを取り囲む世界”という考え方を基本にすれば、きっと、ひとりひとりが、きちんと”自分自身の神と対話し”バランスの取れた世界になるような気がするのですが・・・一見、個人個人が世界の中心だと思い始めると、個人主義的な世界になりそうに思えますが、良く考えれば、同じように考えてる自分以外の人間も大切な存在だって結論に至りますよね。
それにしても、イエス役が、「エンジェル・アイズ」のジム・カヴィーゼル、マリア役が「ミッション・クレオパトラ」や「アレックス」のモニカ・ベルッチとは・・映画を見た後キャストを確認するまでわからなかった(笑)
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